‪Oda Iseki‬
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yoshimune-kun
‪Wakayama‬, اليابان273 مساهمة
4.0 من 5 دوائر
بمفردك • ‪أغسطس 2015‬
‪この堰は、江戸時代に、紀州藩第5代藩主であった徳川吉宗公が大畑才蔵(おおはたさいぞう)に命じて作らせたのが始まりです。

才蔵は学文路村(現在の橋本市学文路)の庄屋の子として生まれましたが、少年時代から数学に明るく、後に土木技術に関心を持つようになりました。
当時の紀の川の北側地域は、「月夜でも乾く」と言われたほど水不足に悩んでいました。このため、紀州藩第5代藩主となった徳川吉宗公は、紀の川の水を利用した大規模な灌漑用水路を作ることによって周辺の水不足を解消し、米の生産高を増やそうと考えました。その際に抜擢されたのが大畑才蔵です。

水路を利用して水を遠くへ送るためには、水路の勾配を厳密に管理した精密な工事を行う必要があります。才蔵は竹筒と木で作った「水盛台」という測量器具を自ら考案し、勾配が3000分の1から5000分の1(3Km~5Kmの距離をあけた最初の地点と最後の地点との高低差がわずか1m)という難工事を実現しました。
また、才蔵は、ほかにも工事区間をいくつかに分けて、区間ごとに必要な資材や切り盛りをする土量、作業人数などを事前に詳細に見積って経費の適正配分を図るとともに、各区間を同時着工することにより工期を短縮するという手法を編み出しました。ある意味、「一人スーパーゼネコン」とも言える存在だったのです。

こうして才蔵は、旧那賀町の藤崎から和歌山市の千手川へと続く藤崎井、和歌山市弘西から西へ続く六カ井などの用水路を次々と完成させていきます。そして、才蔵が最後に取り組んだのがこの小田井用水工事でした。当時、紀州藩の藩主は徳川吉宗公に代わっていましたが、小田井堰の工事を見た人から「えらいもんじゃよ大殿様は、紀州・紀の川、米でせく(堰を作る土嚢が米俵のように見える)」と戯れ歌に歌われた記録が残るほどの大工事であったと伝えられています。

才蔵は、第一期工事の延長約21Kmを完成させた時点で第一線から退きますが、この時齢74歳でありました。その後も工事は続けられ、延長約30Km、灌漑面積1,100ヘクタール以上もの規模を持つ小田井用水は現在も多くの農地を潤しているのです。‬
كُتب بتاريخ 16 نوفمبر 2015
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