‪Genkeiji Temple‬

تعليقات حول - ‪Genkeiji Temple‬, ‪Maebashi‬

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3.5
6 تعليقات
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sahaooon
‪Kasugai‬, اليابان7,796 مساهمة
بمفردك • مارس 2020
‪領民に愛されたという秋元氏の位牌があるお寺です。山門から本堂までの参道が伸びやかで気持ちが良い境内でした。唐突に淀君の伝説がここや敷島公園にあるようですがちょっと信じ難いと思いました。‬
كُتب بتاريخ 30 مارس 2020
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asaka19691216
‪Nerima‬, اليابان33,749 مساهمة
أغسطس 2019
‪群馬県前橋市の利根川沿いにある寺院。対岸の敷島公園の訪問後に行きました。
近所の総社城主であった秋元長朝が父の景朝の菩提を弔うために建立した寺院で、曹洞宗の古刹です。

入口に小さいけど素敵な山門があり、そこから寺院に向かって住宅地の中の参道がありました。
住宅地にあるため周囲の道路は狭いですが、境内に駐車場があります。隣接する幼稚園の駐車場でもありました。

本堂をはじめ赤色の鐘楼、石造地蔵菩薩坐像などがあります。一見すると普通な寺院ですが、寺の説明の看板を読んでいたら興味深いことが記載されていて驚きました。

秋元景朝公夫妻のお墓と共に浅井長政の息女の淀君(秀吉の側室)の墓があると記載されていました。
大坂夏の陣において大阪城内にて自害したとされる淀君ですが、城を包囲する徳川勢や籠城する豊臣勢に気付かれずに大阪城を脱出してこの地に連れてこられるとは到底考えられないですが、でも豊臣秀頼や真田幸村とかも薩摩の国に落ちのびた伝説などもあるので、淀君のこのような伝説があってもおかしくはないですね。
しかも敷島公園の中のお艶観音はその淀君であると言う記載もあって、このあと再び敷島公園に戻り、見過ごしたお艶観音像を見に行っちゃいました。

肝心のお墓については、墓地に入って良いものか迷い、雰囲気的に遠慮して入るのはやめましたが、他の方のレビューを見ると皆さん普通に見学されていたんで大丈夫そうですね。行っとけばよかったなー。
まあ、たまたま立ち寄った寺院がまさかの淀君にまつわる所だったとはラッキーでした。‬
كُتب بتاريخ 26 نوفمبر 2019
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Mitch2001
千葉3,582 مساهمة
زوجان • يونيو 2016
‪創建が天正18年(1590年)という曹洞宗の古刹です。あくまで伝承ですが、大坂夏の陣で総社藩主の秋元長朝は徳川軍として従軍し、淀君と思われる高貴な女性を助け出し連れ帰ったのだそうです。この寺の中には、淀君のものと伝えられている墓もあり、伝承とはいえ大阪からからこんなに遠いところで思わぬ歴史のひとコマに触れ、不思議な歴史の流れに思いをはせました。‬
كُتب بتاريخ 2 سبتمبر 2016
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三代目くらの助
طوكيو, اليابان3,147 مساهمة
بمفردك • نوفمبر 2015
‪一見特別な事のない一般的な曹洞宗の寺院ですが、歴史好きな方なら興味の湧きそうな諸説の伝わる舞台ともなっています。
他のレビューにもある様に、このお寺は淀君の墓所がある事でも有名です。利根川に身を投げて亡くなったとされる淀君が当時着けていた内掛け等があるそうで、言い伝えも何だかリアルですよね。
自分にとっては山々の連なりが望める、普通の静かな古刹に感じられました。‬
كُتب بتاريخ 21 يوليو 2016
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本陣
‪Toyota‬, اليابان3,086 مساهمة
العائلة • مايو 2015
‪大阪夏の陣で淀君も秀頼公も自害したとされているが地方には生き延びていた説も多々ありますね。それがこの地で淀君はこの地で生き伸びていたそうです。歴史好きな人はなかなかドキッとする歴史スポットです。元景寺には、淀君が当時乗って来た、お籠の扉が残っています。‬
كُتب بتاريخ 21 مايو 2015
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風来坊閣下
سنغافورة, سنغافورة140 مساهمة
يناير 2011
‪今年の大河ドラマの主人公お江与の姉 淀君の墓が群馬にあると聞き元旦早々訪ねることとなった。
墓のある元景寺は戦国時代にこの付近の小領主の一人秋元長朝が父を弔うために建てたという。
寺の人に淀君の墓の場所を聞くとすぐに分かった。
境内奥の墓地中央に1万石の大名にしては立派な秋山氏の墓所があった。
よく整備が整っている。
その片隅に淀君の墓は立っていた。
経緯はこうである。
大坂夏の陣に参陣した秋山長朝は大坂城から淀君を救い出し、自分の所領につれてかえり妾にしたが淀君はプライドが強く淵に身を投げたという。
確かに彼女の墓の隣には彼女を守るがごとく家臣の墓が20基ほど立っていた。

ドラマチックあふれる話だがア落ち着いて考えると淀君は夏の陣のころ50に手が届くほどの女性である。
その女性に長朝が恋をして妾にするのはどうも考え難い。

そこで思ったのだが秀吉にはたくさんの側室、侍女がいたがその一人ではないかと思われる。
この時代は情報網が発達していないからこの上州の人々から見れば大坂から来た高貴な女性=淀君だったのではないだろうか。
彼女は自分の死後 淀君と呼ばれるなど想像もつかなかったであろう。

はかなく関東の上州で身を散らせた女性の墓に手を合わせ寺を後にした。
長朝も淀君も歴史の波の翻弄されながら知られずに消えていった無数のドラマの一つである。‬
كُتب بتاريخ 28 يناير 2011
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